大多喜小学校

千葉県 撮影|小島広行

設計|小島広行

Architect's comment

お城との対話を意図した小学校

徳川家康の命により本多忠勝が大多喜城を築城し、周辺地域の警護の拠点となった地である。街並みとしては、城下町の様相を呈しており、周辺環境との融合がテーマとなった。既存木造校舎4棟を取り壊し、体育館とプールを残した状況での改築計画である。限られたスペースの中で、如何に城下町の佇まいを表現できるか、又この地に相応しい学習環境を創造できるかの検証を行った。

設計手法としては、建物の中心軸(管理棟)を、お城に向け、この軸を中心に各クラスターを配置し展開することで、何処からでも大多喜城を意識可能な施設構成とした。分散させた各クラスター間は路地状空間を生み出し、城下町特有の集落的空間を表現した。

内部空間ついては、様々な教育スタイルにフレキシブルに対応可能な大小空間を随所に配置、児童たちのアクティビティを誘発できる種々のコーブが子供たちのストレスの回避と楽しい空間を提供した。

地域社会との融合という点から、多目的ホールは地域住民と合同イベントに活用可能な施設整備とした。

(多目的ホール・屋外劇場・屋外教室・屋外実習コーナー等)

児童は一日の大半を学校で過ごす。つまり学校は児童にとって学習の場であると同時に生活の場である。

そこで家庭生活の延長と捉え、クラスルームは「家」として認識できる形状とボリュウムとし住宅単位のスケールと設備を随所に取り入れて親しみがあり、生活が容易な構成を心掛けた。

「家」としての学校が大人の予期せぬ子供の行動や発見を生み出すことを期待して。

周辺地域に散在する民家は、昔ながらの田の字プランであり、玄関を入ると土間があり、かまどが隣接し対象位置に田の字型の和室(4室)、その南側に縁側という形式が一般的である。

この施設のオープン形式のクラスルームと対比すると、襖の開閉がスライディングウォールの可動、縁側がお話コーナー、コミュニティの場がデンとして民家を呼応する形態とした。

また、縁側は外部に対して積極的に開放され、室内外の中間的領域を確立する。

これらの類似空間を現代的に発展させることで、地域の歴史的記憶を継承し、さらには新しく刻まれる児童の豊かな思い出となることを期待する。

オープンスペースにはヒエラルキーを与え大小の空間やスキップしたフロア等、隅っこのような囲まれた秘密基地のようなスペースは子供が大好きな空間だ。

隠れ家的感覚で、「お話コーナー」・「子供書斎コーナー」をデンと位置づけ、児童が、それぞれ自分の居場所を発見することで、心のゆとりを持ち、自分を見つめ、他人への思いやりを具えた人格を育成可能な空間として創出した。

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